廃棄物処理法の歴史(昭和末期編)

廃棄物の歴史

みなさん、廃棄物に関する法律の歴史ってご存じですか?今回は歴史シリーズをお届けします。
そもそもそういう法律がある事自体ご存じ無い方が多数派だと思います。
前回では『昭和編』を解説しましたが、今回は『昭和末期編』です。

昭和50年 『六価クロム鉱さい事件』を受けて翌年、廃棄物処理法が大きくリニューアルしました。
現在お馴染みのマニフェスト制度、委託契約書制度はまだ導入される前段階ですが、
① 廃棄物の再委託の禁止
② 措置命令規定の創設
③ 事業者の産廃を自ら処理する義務(他社委託も含む)
が大きな改善点です。
特に、①廃棄物の再委託の禁止がポイントなのですが、当時、不法投棄に関するモラル意識の低さ、無許可業者へ廃棄物処理を委託する事の理解の低さが原因で、事業者にきちんと自ら産廃を適正処分するように段取りする事の意識強化、違法業者への厳罰化を目的にリニューアルされたというのが実情です。私のブログ過去記事『産廃クイズ第10回(専ら物)編』にも書いたのですが、江戸時代から日本には現在、専ら業と定義される伝統リサイクル業が存在したまま、廃棄物処理法が並行して施行されてしまったため悪い意味で『ゴミ処理が法律で取り締まられる物になったという民間の意識付けが遅れた』と考えられます。

そして、同年、この法改正を受けて愛知県産業廃棄物処理事業協同組合(略称:愛産協)が発足します。そしてその2年後、全国産業廃棄物連合会(略称:全産連)が発足します。
私、愛知県民として、全産連よりも愛産協の発足が早かったということに誇りを感じます。

そして更に3年後、『広域臨海環境整備センター法』が制定されました。この法律の定義は、
① 廃棄物の広域的な処理が必要であると認められる区域において生じた廃棄物の適正な海面埋立てによる処理及びこれによる港湾の秩序ある整備を図るため、環境の保全に留意しつつ港湾において広域処理場の建設、管理等の業務を行うことにより、生活環境の保全及び地域の均衡ある発展に資することを目的とする。

② この法律において「広域処理場」とは、二以上の都府県において生じた廃棄物による海面埋立てを行うための施設であつて、次に掲げるものによつて構成されるものをいう。
(以下略)

行政官様のステキな文章を老婆心ながら要約すると『埋立処分場を陸地に求めるよりも、海に囲いを作った上で捨てる方が、将来的な国土拡張につながるじゃん。それに、条件に合う海域に複数地域のゴミを集めた方が効率的でいいよね。』という事です。
自治体単位の縦割り行政の壁を打破する、当時としてはかなり合理的な法律と言えるのではないでしょうか?

この法律改正の2年後、『東京ディズニーランド』がオープンします。
そしてその翌年、あのスタジオジブリの名作『風の谷のナウシカ』が劇場公開されエンターテイメント事業界の発展が始まります。
さすが宮崎監督、その当時の環境問題の背景を見事にテーマに深く内包したエンターテインメントを作り上げておられます。当時私は6歳、映画館ではなく多少遅れてテレビ放送で見たので小学生だったと思いますが、その世界観が現在の職業選択につながっているのは間違いありません。まさに、エンターテイメントビジネスが生活に根付いた時期と言えるのではないでしょうか?

では、次回『廃棄物処理法の歴史(平成編)』を乞うご期待‼

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