みなさん、廃棄物に関する法律の歴史ってご存じですか?今回は歴史シリーズをお届けします。
そもそもそういう法律がある事自体ご存じ無い方が多数派だと思います。
前回では『昭和末期編』を解説しましたが、今回は『平成編』です。
この時代の代表的事件としては、平成2年に『豊島事件』が発覚します。香川県土庄町豊島の住民 が、地元産廃業者、豊島総合観光開発を相手方として、産廃の不法投棄がなされた処分地の産廃全量撤去、申請人に50 万円/人を支払うことを求め調停を申請しました。
2億3,600万円余の国費を投じた調査の結果、処分地に残された産廃の量・分布、地下水への影響等の実態が把握されました。産廃不法投棄を行った会社が事実上廃業している状況下です。香川県が調停の主な相手方となり、6年以上に及ぶ話合いを重ねました。その結果、平成 28 年度末まで現状復帰を完了する事が合意され、平成 12 年6月に調停成立しました。その後、法律に基づき香川県主体で、91万トンに及ぶ産廃撤去が完了したのは平成 29 年3月末です。総額は約 725 億円の税金が投入されました。
そもそも、この豊島総合観光開発、産廃の許認可業者ですらありません。事業を開始した昭和53年当時、ハマチ養殖のエサとしてミミズが8万円/Kgとバブル価格で取引されていた事に目をつけ、木くずをミミズに食べさせ、そのフンを堆肥として販売、育成されたミミズをハマチ養殖のエサとして販売するというビジネスモデルを開始したところから話が始まります。そして、木くずの他に牛フンも扱うようになり、不要物を受け取る際に、受け入れて利益を上げ、ミミズ・堆肥を販売して利益を上げといった両取りのビジネスモデルを発見して完全に調子に乗り始めます。そして地元産業の製紙工場からパルプ残渣(紙の解け残りとプラスチックなどの不純物)を受け入れ開始したあたりから、ミミズ循環システムは破綻します。パルプ残渣は紙溶解時に、不純物を金網で巻き取るのですが、当然ながらミミズはそんな物を消化できません。その結果、その金網ごと灯油をかけて燃やし、残った金網を売却するといった新ビジネスモデル?を展開して行きます。以前に、私の勤務先の会長が「被服銅線に灯油かけて燃やして残った銅線を売った」なんてエピソードを披露しましたが、それは廃棄物処理法が制定される前の事で、廃棄物処理法制定後のこの時点でそれをやるのは完全にアウトです。昭和58年にはミミズ養殖バブルも下火となり、このビジネスモデルの終焉を迎える事となりました。そして、平成2年に『豊島事件』が発覚するといった一連の事件に発展していく事になります。
参考サイト:香川県豊島事案について(環境省)
https://www.env.go.jp/content/000047850.pdf
この事件を受けて、平成3年、またも廃棄物処理法が大きくリニューアルされます。
① 特別管理産廃の分類新設
② 特別管理産廃についてはマニフェスト(宅配業者の受取複写書式みたいな物)交付義務化
③ 5年ごとの許可更新制度の導入
④ 措置命令が行政の都合で容易に出せるようになった。
⑤ 処理施設は届出制から許可制に厳密化
⑥ 委託基準に委託家役所の締結が義務化
といった内容で、行政官様は産廃業者・排出事業者(ゴミを捨てる事業者)を取り締まりやすくなりました。
そして、平成9年、更なる廃棄物処理法のリニューアルが行われます。
その内容とは・・・。
① 契約書に委託料金の記入義務化 → 産廃の適正処理に疑わしいほど安い設定の取締り
② 最終処分場の維持管理積立金の義務化 → 最終処分場の計画倒産は許さないという取締り
③ 暴対法関連 → 産廃業界に参入していた反社会的勢力の根絶
④ 全ての産廃マニフェストの交付義務化(ただしこの時点では中間処理完了までの管理で、最終処分完了までは管理されず。)
ここまで法整備が厳格化されたのにも関わらず、その2年後、産廃業界に更なる激震が走ります。
それは、『青森・岩手県境事件』です。
それでは、『廃棄物処理法の歴史(平成編)後編』を乞うご期待‼
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