みなさん、廃棄物に関する法律の歴史ってご存じですか?今回は歴史シリーズをお届けします。
そもそもそういう法律がある事自体ご存じ無い方が多数派だと思います。
前回では『江戸‐明治編』を解説しましたが、今回は『大正編』です。
大正元年、名古屋市でし尿の収集事業が市の事業となりました。
これが日本初の下水処理業務の公営化の始まりです。恐らく当時は下水網までは整備されてなかったと思いますので、ボットン便所からのバキューム回収の形式だとは思うのですが、バキューム車自体は現在の性能の物はまだ無かったと思いますので、よほど過酷な回収だったと想像できます。
そして、大正3年、歴史的大事件、第1次世界大戦が始まります。これにより欧州からアジアへの輸出が途絶えた結果、日本はアジアへの輸出を劇的に拡大し、産業の急成長が起きました。この産業バブルは大正7年の終戦まで継続します。その状況下、日本窒素肥料という会社が大正11年に日本初の硫安(化学肥料の原料)の合成に成功します。これは日本工業史上の快挙です。だがしかし・・・。この会社名、どこかで聞いた事ありませんか?
そうです、聞いたことある方、環境意識が相当高いですね。昭和31年に水俣病(メチル水銀化合物による河川汚染および、その汚染地帯の魚介類を長期的に食した人に神経性の中毒症状が起きた)を起こした会社の元会社です。足尾鉱毒事件以降の日本の4大公害事件の1つが発生する原因となった企業として名を残す事となります。
そして大正9年、全国で市町村がゴミを直営で収集及び処分する制度が始まります。
ということは・・・。それまではきっと各家庭で野焼きするか山奥へ不法投棄するかしてたんでしょうね。
そして昭和元年、ついに日本の人口が6,000万人を超えます。現在の約半分の人口にこの時に到達したんですね。急成長する日本、現在からは想像もできませんね。
そんな中、昭和5年、『汚物除去法施行規則』が施行されます。これにより有料化してでも、し尿回処理業務が市に義務付けられました。また、一般家庭のごみも焼却処分が義務付けされる事になりますが、焼却施設建設が間に合わなかった弱小都市には海洋投棄する所もあったと記録されています。何と、自治体による海洋不法投棄です。現在の環境意識からは考えられませんね。
そして、歴史的混乱期に突入します。昭和12年 日中戦争開戦、昭和16年 太平洋戦争開戦、昭和20年 終戦。
その後、いよいよ日本に廃棄物処理に関する法律が確立されて行く事になります。
それでは、次回『廃棄物処理法の歴史(昭和編)』でお会いしましょう‼
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